1923(大正12)年09月01日関東大震災で杉山茂丸宅(台華社)消失。子息の杉山泰道(夢野久作)、九州日報(現西日本新聞)の特派記者として上京、報道記事、スケッチを送り続ける。
1905年(明治38年)7月31日にロシア軍が樺太で日本に投降し、日露戦争が終結する。 この戦争には、多くの福岡に縁がある先人が関わり、特に杉山茂丸や金子堅太郎、明石元二郎らが特記される。9月4日(日本時間5日15時47分)は講和条約であるポーツマス条約(日露講和条約)調印の前日、関係者の命をかけた苦労が偲ばれる。
ポーツマス条約(日露講和条約)は、1905年9月05日15時47分に、アメリカ合衆国のセオドア・ルーズベルト大統領の斡旋によって、ニューハンプシャー州ポーツマスの海軍工廠において、日本全権小村寿太郎とロシア全権セルゲイ・ウィッテの間で調印が成され締結された、日露戦争の講和条約。また、条約内容を勘案した会議のことをポーツマス会議と呼ぶ。
「識字」とは「文字の読み書きができる」ことです。
1965(昭和40)年のこの日、イランのバーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回す提案をしたことを記念しています。 1990年に国連が国際デーとして定めました。 2000年現在、成人非識字者数は全世界で8億8000万人と言われる。
1954(昭和29)年09月26日台風15号のため、国鉄青函連絡船・洞爺丸が転覆し、死者1029名というタイタニック号に次ぐ世界第2の海難事故となった。5年後の1959年09月26日 - 伊勢湾台風(台風15号)が潮岬に上陸。東海地方などを襲い、死者・行方不明者5000人以上という甚大な被害を及ぼす。
今日を築き、明日を拓く先人をお教えください。
この日に縁がある先人募集中 isen@kinin.com
山手晋のメッセージ「一即多」
杉山茂丸の俗戦国策に曰く「・・・いわんや西郷、高杉等を援けて擁護したる筑前勤皇先輩(加藤司書や平野國臣)の死の如きは、実に同情に耐えぬのである。即ち尊皇攘夷の醸造元は水戸であって、之が元売捌(さばき)所は筑前であった。そこに居候に来ていた西郷、高杉の如き自己の郷里が藩論の一致を欠いていた時ゆえ、この尊王攘夷論という当世の要諦(要諦)を筑前の先輩に教わったので、両人は各々の膝を打って起(た)ちこの尊王攘夷論を以って、藩論の一致を促す絶好の策なりとして、その旗印を各郷藩に翻したのである。それがズドンと当たって藩論の一致をみ、薩長連合となってアノ大繁昌をなしたので、水戸も筑前も、薩長藩閥の鳶(とび)に尊皇攘夷という油揚げを浚(さら)われたと同じ事である。」