今日を築き、明日を拓く先人をお教えください。
この日に縁がある先人募集中 isen@kinin.com
山手晋のメッセージ「一即多」
杉山茂丸の俗戦国策に曰く「・・・いわんや西郷、高杉等を援けて擁護したる筑前勤皇先輩(加藤司書や平野國臣)の死の如きは、実に同情に耐えぬのである。即ち尊皇攘夷の醸造元は水戸であって、之が元売捌(さばき)所は筑前であった。そこに居候に来ていた西郷、高杉の如き自己の郷里が藩論の一致を欠いていた時ゆえ、この尊王攘夷論という当世の要諦(要諦)を筑前の先輩に教わったので、両人は各々の膝を打って起(た)ちこの尊王攘夷論を以って、藩論の一致を促す絶好の策なりとして、その旗印を各郷藩に翻したのである。それがズドンと当たって藩論の一致をみ、薩長連合となってアノ大繁昌をなしたので、水戸も筑前も、薩長藩閥の鳶(とび)に尊皇攘夷という油揚げを浚(さら)われたと同じ事である。」
今日を築き、明日を拓く先人をお教えください。
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山手晋のメッセージ「一即多」
杉山茂丸の俗戦国策に曰く「・・・いわんや西郷、高杉等を援けて擁護したる筑前勤皇先輩(加藤司書や平野國臣)の死の如きは、実に同情に耐えぬのである。即ち尊皇攘夷の醸造元は水戸であって、之が元売捌(さばき)所は筑前であった。そこに居候に来ていた西郷、高杉の如き自己の郷里が藩論の一致を欠いていた時ゆえ、この尊王攘夷論という当世の要諦(要諦)を筑前の先輩に教わったので、両人は各々の膝を打って起(た)ちこの尊王攘夷論を以って、藩論の一致を促す絶好の策なりとして、その旗印を各郷藩に翻したのである。それがズドンと当たって藩論の一致をみ、薩長連合となってアノ大繁昌をなしたので、水戸も筑前も、薩長藩閥の鳶(とび)に尊皇攘夷という油揚げを浚(さら)われたと同じ事である。」
秋月藩医緒方春朔は、わが国医療の先覚者の一人である。
天然痘は今や完全に根絶されたが、当時の人々の天然痘に対する恐怖は、現代の我々には想像もつかないほど恐ろしいものであった。寛政2年(1790)予防接種である人痘種痘法をわが国で初めて成功させ、これを全国に広めたのである。これは、エドワード・ジェンナーの牛痘種痘法成功より、6年早い時期であった。この春朔こそが、わが国における種痘の始祖であり、予防接種の先覚者である。