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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)

07月01日~15日 福博の街に夏を告げる博多祇園山笠。

760余年の伝統を誇る博多祇園山笠は、博多の総鎮守・櫛田神社の奉納神事であり、国の重要無形民俗文化財でもあります。

07月01日に、福岡市内のあちこちに豪華な飾り山(静の山笠)が公開されると、福博の街は、山笠一色に染まり、静と動が見事に競演する15日間が始まります。

締め込み姿の舁き手の男集に、威勢よく勢い水がかけられ、重量1トンもの舁き山(かきやま)をオイサッ!オイサッ!と勇ましい掛け声と供に舁き、後方から勢いよく山を押して博多の街を走りぬける舁き山は緊張感とスピード感にあふれます(動の山笠)。

07月15日午前4時59分の「追い山」で、クライマックスを向かえ、博多の街は熱狂のるつぼと化します。“山のぼせ”の勇壮で豪快な男たちの鼓動と熱い魂は、見る人すべてに感動を与えます。

836(承和3)年の07月02日に最後の遣唐使が博多港から出航。藤原常嗣、小野篁ら600余人。


<一即多>
今日はアメリカ独立記念日〈1776(安永5)年の今日アメリカ東部13州の代表がフィラデルフィアで独宣言に署名した〉。

91年後、渡航の解禁が解けた翌年1867(慶応3)年に福岡第11代藩主黒田長溥(ながひろ)が平賀磯三郎(義質)、井上良一(15歳)ら6人をボストンに留学させる。次に1871(明治4)年に伊藤博文らの渡米視察に留学生として栗野慎一郎、金子堅太郎、団琢磨、を派遣する。








今日を築き、明日を拓く先人をお教えください。

この日に縁がある先人募集中 isen@kinin.com

山手晋のメッセージ「一即多」
杉山茂丸の俗戦国策に曰く「・・・いわんや西郷、高杉等を援けて擁護したる筑前勤皇先輩(加藤司書や平野國臣)の死の如きは、実に同情に耐えぬのである。即ち尊皇攘夷の醸造元は水戸であって、之が元売捌(さばき)所は筑前であった。そこに居候に来ていた西郷、高杉の如き自己の郷里が藩論の一致を欠いていた時ゆえ、この尊王攘夷論という当世の要諦(要諦)を筑前の先輩に教わったので、両人は各々の膝を打って起(た)ちこの尊王攘夷論を以って、藩論の一致を促す絶好の策なりとして、その旗印を各郷藩に翻したのである。それがズドンと当たって藩論の一致をみ、薩長連合となってアノ大繁昌をなしたので、水戸も筑前も、薩長藩閥の鳶(とび)に尊皇攘夷という油揚げを浚(さら)われたと同じ事である。」















今日を築き、明日を拓く先人をお教えください。

この日に縁がある先人募集中 isen@kinin.com

山手晋のメッセージ「一即多」
杉山茂丸の俗戦国策に曰く「・・・いわんや西郷、高杉等を援けて擁護したる筑前勤皇先輩(加藤司書や平野國臣)の死の如きは、実に同情に耐えぬのである。即ち尊皇攘夷の醸造元は水戸であって、之が元売捌(さばき)所は筑前であった。そこに居候に来ていた西郷、高杉の如き自己の郷里が藩論の一致を欠いていた時ゆえ、この尊王攘夷論という当世の要諦(要諦)を筑前の先輩に教わったので、両人は各々の膝を打って起(た)ちこの尊王攘夷論を以って、藩論の一致を促す絶好の策なりとして、その旗印を各郷藩に翻したのである。それがズドンと当たって藩論の一致をみ、薩長連合となってアノ大繁昌をなしたので、水戸も筑前も、薩長藩閥の鳶(とび)に尊皇攘夷という油揚げを浚(さら)われたと同じ事である。」




1905年(明治38年)07月31日にロシア軍が樺太で日本に投降し、日露戦争が終結する。この戦争には、多くの福岡に縁がある先人が関わり、特に杉山茂丸や金子堅太郎、明石元二郎らが特記される。

学生時代に山座先輩の指示で大陸探査を行った広田弘毅をはじめ11名を列記した。