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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)

過去記事

有馬豊氏 久留米藩初代藩主

1569年05月18日~1642年11月22日
永禄12年5月03日~寛永19年閏9月30日

兵庫県(播磨国)生まれ / 大阪夏の陣後1620年(元和6)に筑後国久留米城主(21万石)に任ぜられ、藩政の基礎づくりを進めた。

西島伊三雄 博多町人文化勲章

1922年05月31日~2001年09月30日
大正11年~平成13年

福岡市生まれ / グラフィックデザイナー。1973年、昔の町人気質を受け継ぎ、古き良き博多を守ろう博多町人文化連盟を設立。

1918(大正7)年09月29日 原敬内閣が成立。戊辰戦争から50年、同盟軍(いわゆる賊軍)である南部藩(盛岡)から平民宰相が生まれた。福岡市中央区天神町出身の国士杉山茂丸が山県有朋を工作し、念願を叶えたといわれる。

杉山茂丸 全身献体の快人

1864年08月15日~1935年07月19日
元治元年~昭和10年

福岡市天神町生まれ。国士・民間政治家(いわゆる浪人)だが、金融と経済こそ近代国家の基本と言う観点から、伊藤博文、山形有朋、桂太郎などを動かして、近代国家としての日本の方向付けを行なった。死体国有論の茂丸は1935年(昭和10年)のこの日に死去、夫婦で東大に献体されている。

麻生 太賀吉(あそう たかきち) 吉田茂の資金源

1911年09月29日 - 1980年12月02日
明治44年~昭和55年

福岡県飯塚市出身。日本の実業家、政治家。麻生セメント会長。九州の炭鉱王、麻生太吉の孫で吉田茂の女婿。外務大臣の麻生太郎は長男。麻生セメント社長の麻生泰は次男。寬仁親王妃信子は三女。

落石栄吉 祇園院栄空山笠居士

1898年09月28日~1978年05月08日
明治31年~昭和53年

福岡市生まれ / 戦後博多祇園山笠復興に取り組み、博多町人文化の保存に多々貢献する。

藤井孫次郎 新聞先覚者

1847年09月27日~1907年09月16日
弘化4年~明治40年

福岡市博多区生まれ / 1877(明治10)年03月福岡最初の新聞「筑紫新聞」に参画し、翌年12月に「めさまし新聞」を創刊。

1954(昭和29)年9月26日台風15号のため、国鉄青函連絡船・洞爺丸が転覆し、死者1029名というタイタニック号に次ぐ世界第2の海難事故となった。5年後の1959年9月26日 - 伊勢湾台風(台風15号)が潮岬に上陸。東海地方などを襲い、死者・行方不明者5000人以上という甚大な被害を及ぼす。

去る17日に福岡を襲った台風13号は、久方ぶりの強風を伴う大型台風で延岡で竜巻が起こった。

藤田哲也 竜巻博士

1920年~1998年11月19日
大正9年~平成10年

北九州市小倉南区生まれ / 1953年シカゴ大学に招かれ、「ドクタートルネード」と称せられる竜巻の世界的権威になり、航空安全にも寄与した。」

893年(寛平5)9月25日、学問の神様菅原道真が、新撰万葉集2巻を撰進。道真は万葉集の最後の編者として非常に読みづらい万葉集の草稿を、勅命によって編集し直した。

菅原道真 天神さま

845年08月01日~903年03月26日
承和12年06月25日~延喜3年02月25日

901年突如太宰権師に左遷され、2月01日に都を出、59歳で没す。学問の神として全国に祭られている。

伊藤研之 第1回福岡市文化賞

1907年04月06日~1978年09月24日
明治40年~昭和53年

福岡市中央区生まれ / 洋画家・2科会員として現実と非現実とが交錯する不思議な心象の世界を描写し独自の境地を開いた。

藤金作 新吉野

1844年09月24日~1932年03月19日
天保15年~昭和7年
粕屋郡篠栗町生まれ / 八木山越え沿道に私費を投じ、桜を植えて新吉野の名所を作った政治家(県議)

1938年09月23日、ニューヨーク州での世界博覧会で5000年後へのメッセージを埋設。中身はアインシュタインのメッセージほか。

アインシュタイン 相対性原理講演会

1879年03月14日~1955年04月18日
明治12年~昭和30年

ドイツ生まれ / 1922年12月24日、福岡市大博劇場で3千人に講演したノーベル物理学賞受賞者。

1987(昭和62)年の09月22日、昭和天皇は「慢性すい炎』で腸を開腹手術を受ける。天皇が体にメスを入れるのは、史上初めてである。

昭和天皇 巡幸

1901年04月29日~1989年01月07日
明治34年 ~昭和64年
東京都中央区1920年皇太子時に来福、1949年5月九州大学を始め福岡県内を巡幸。歴代天皇最長寿87歳8ヶ月。

今日付けの西日本新聞朝刊特集で福岡運輸創業者「富永シヅ物語」を当先人記念館企画運営を担当している「ふくおか未来立志塾」先着100名にプレゼントすると発表。大反響を呼んでいる。

富永シヅ 国産冷凍車

1909年01月28日~2006年05月23日
明治42年~平成18年
長崎県五島出身。1958年(昭和33)、日本で初めて国産の冷凍車を走らせた福岡運輸創業者。

杉山龍丸 グリーンファーザー

1919年05月26日~1988年09月20日
大正8年~昭和63年

「インドの独立の父はガンジーさん。インドの緑の父(グリーン・ファザー)はスギヤマさん」

福岡市出身の杉山茂丸の孫で、夢野久作の長男。私財を投げ打ち、インドの砂漠を緑の大地に蘇らせた人物で、インドではグリーンファーザーと尊称されています

石井光次郎 衆院議長

1889年08月18日~1981年09月20日
明治22年~昭和56年

久留米市生まれ / 高潔、誠実な政治化として定評があり、日本体育協会会長などを務めた久留米市名誉市民

中内 功( いさお) ダイエーホークス

1922年8月02日~2005年9月19日
大正11年~平成17年

大阪府西成区出身。ダイエー創業者で福岡ドームをつくり、福岡ダイエーホークスを誘致する。

田中久重 東芝の父

1799年09月18日~1881年01月11日
寛政11年~明治14年

久留米市生まれ / からくり儀右衛門。技術大国の基礎を作る。からくり人形から和時計、蒸気船、 電信機までモノつくりに命をかける。

1988(昭和63)年 - 第24回夏季オリンピック、ソウルオリンピック大会開催。10月02日まで。52年前のベルリンオリンピックを回顧する。

葉室鉄夫 水泳で金メダル

1917年09月07日~2005年10月30日
大正6年~平成17年

福岡市出身。中学修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)から日大予科に進学。1936年のベルリンオリンピック200m平泳ぎで金メダルを獲得。1940年に第一線を退くまで、200m平泳ぎで世界ランキング1位の座を守った。

伊藤野枝 婦人運動家

1895年01月21日~1923年09月16日
明治28年~大正12年

福岡市生まれ / 平塚らいてう主宰の「青鞜」の後継者として活動し、アナーキスト大杉栄と共に甘粕大尉に虐殺される。

藤井孫次郎 新聞先覚者

1847年09月27日~1907年09月16日
弘化4年~明治40年

福岡市博多区生まれ / 1877年03月福岡最初の新聞「筑紫新聞」に参画し、翌年12月に「めさまし新聞」を創刊。

中島一男 福岡県植物目録

1904年09月15日~1953年04月16日
明治37年~昭和28年

八女市生まれ / 本県の植物相の解明のみならず、日本の植物分類学の発展に大きく貢献した。1952年に目録発表。

サザエさんの父磯野波平(いその なみへい)は、1895(明治28)年9月14日である。

長谷川町子 「サザエさん」

1920年01月30日~1992年05月27日
大正9年~平成4年

佐賀県多久市生まれ / 昭和21年04月22日夕刊フクニチでスタートし、連載6477回に「国民まんが」になった。福岡市中央区西新町の百道(ももち)の海岸からサザエ一家が生まれる。

1912(大正元)年 9月13日明治天皇の大葬が行われる。同日乃木希典大将が夫人とともに自宅で殉死。

乃木希典 秋月の乱を平定

1849年12月25日~1912年09月13日
嘉永2年11月11日~大正元年

876年(明治9)10月29日、明治政府に対する士族反乱の秋月の乱を小倉鎮台を率いて攻撃平定する。

明治時代を代表する軍人。陸軍大将従二位勲一等功一級伯爵。第10代学習院院長。畏敬と親愛を込めて乃木大将などの呼称で呼ばれることも多い。

東郷平八郎とともに日露戦争の英雄とされ、「聖将」とも呼ばれた。若い頃は放蕩の限りを尽くしたが、ドイツ帝国留学において質実剛健な普魯西(プロイセン)軍人に感化され、帰国後は質素な生活を旨とするようになったという。また、明治天皇の後を追った乃木夫妻の自殺は、殉死として美談にもなった。

1876年10月24日に熊本県で起こった神風連の乱に呼応して、旧秋月藩の士族宮崎車之助、磯淳、土岐清、益田静方、今村百八郎ら約400名によって起こされた反乱である。

神風連の乱から3日後の10月27日、今村を隊長とする「秋月党」が挙兵、まず明元寺で警察官を殺害(日本初の警察官の殉職)。旧秋月藩の士族はあらかじめ旧豊津藩の士族、杉生十郎らと同時決起を約束していたため、このあと豊津へと向かい、10月29日に到着する。しかしこのとき旧豊津藩士族は決起しない方針を固め、杉生らは監禁されており、談判中、豊津側の連絡を受けて到着した乃木希典率いる小倉鎮台が秋月党を攻撃。秋月側は死者17名を出し(政府軍の死者2名)江川村栗河内(現・朝倉市大字江川字栗河内)へ退却、10月31日に秋月党は解散し、磯、宮崎、土岐ら7名は自刃した。

杉山元 大将・元帥

1880年01月02日~1945年09月12日
明治13年~昭和20年

北九・小倉北区 / 教育総監、陸軍大臣、参謀総長の陸軍3長官を歴任、1945年09月12日自決、夫人も後を追う。

末次繁光 刀鍛冶師

1886年~1943年09月12日
明治19年~昭和18年

福岡市博多区生まれ / 玄洋社社員、櫛田神社宮総代で最上大業物検査役格の刀鍛冶師として活躍。

石橋正二郎 美術品の世界的コレクター

1889年02月25日~1976年09月11日
明治22年~昭和51年

久留米市生まれ / 自動車タイヤの国産化に成功したブリジストンタイヤの創立者。

熊谷一弥 テニス銀メダル

1890年09月10日~1968年08月16日
明治23年~昭和43年

大牟田市生まれ / 1920年の第7回アントワープオリンピックでわが国初の銀メダルを獲得したデ杯庭球選手。

山川健次郎 九大初代総長

1854年09月09日~1931年06月26日
嘉永7年~昭和6年

会津若松生まれ / わが国最初の理学博士学位を授与。1907年九州工大前身、明治専門学校総裁、1911年九州帝国大学総長。

9月08日 国際識字デー 「識字」とは「文字の読み書きができる」ことです。1965(昭和40)年のこの日、イランのバーレビ国王が軍事費の一部を識字教育に回す提案をしたことを記念しています。 1990年に国連が国際デーとして定めました。 2000年現在、成人非識字者数は全世界で8億8000万人と言われる。

原田幸太郎 日本習字教育財団

1911年03月21日~1995年07月04日
明治44年~平成11年

山門郡瀬高町出身。六字斎観峰と号し、福岡を中心に全国に書道を普及。世界平和のために国際交流に尽くす。


◆日 時  9月19日(火)
◇独演会
昼の部 14時30分開演(開場14時)
夜の部 18時30分開演(開場18時)
会場/NTT夢天神ホール(岩田屋本店7階)
    福岡市中央区天神2ー5ー35 TEL 092(781)8888

おかげさまで満員となりました

葉室鉄夫 水泳で金メダル

1917年09月07日~2005年10月30日
大正6年~平成17年

福岡市出身。中学修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)から日大予科に進学。1936年のベルリンオリンピック200m平泳ぎで金メダルを獲得。1940年に第一線を退くまで、200m平泳ぎで世界ランキング1位の座を守った。

野村望東尼 維新の母

1806年09月06日~1867年11月07日
文化3年~慶応3年

福岡市生まれ / 平野國臣、高杉晋作等諸国の勤皇の志士の擁護に務め、姫島(糸島郡島町)に流島された勤皇歌人

田中諭吉 曲水の宴

1901年01月29日~1970年09月05日
明治34年~昭和45年

福岡市博多区川端に生れ、太宰府天満宮の曲水の宴を始め数々の宗教行事を組み立てる。福岡日日新聞社、西日本新聞社、西広、大広などに勤務。福岡・博多のアイデアマンとして太宰府曲水の宴、櫛田神社お多福面、集団山見せ、常設山笠、筥崎宮放生会灯篭、西公園光雲神社謡鶴、新天町商店街(戦後復興)、宗像大社交通安全祈願(戦前)など多くの企画を手掛ける。有無庵(ユーモア)と号す。昭和45年9月05日没。

入江徳郎 天声人語

1913年07月15日~1989年09月05日
大正2年~昭和64年

遠賀郡芦屋町生まれ / 文章家として名を上げ、中立公正な文章が好評。1970年~1983年TBSニュースキャスターとして活躍。


1977(昭和52)年 の今日、世界のホームラン王になった当時巨人軍の王貞治選手に贈られた国民栄誉賞第1号が授与される。

国民栄誉賞とは、「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者」についてその栄誉を称えるため、1977(昭和52)年9月05日同年の9月03日にアメリカのハンク・アーロン選手の持つ755号大リーグ記録を破った王選手のために急遽つくられ、福田首相が官邸で授与。翌年の7月25日に亡くなった作曲家の古賀政男に8月05日第2号が贈られた。

古賀政男 酒は涙か溜息か

1904年11月18日~1978年07月25日
明治33年~昭和53年

大川市生まれ / 昭和初期より50年間で「影を慕いて」ほか約4000曲の古賀メロディーを作曲。歌謡史に足跡を残す。 

国民栄誉賞  「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者」についてその栄誉を称えるため、1977(昭和52)年9月05日同年の9月03日にアメリカのハンク・アーロン選手の持つ755号大リーグ記録を破った王選手のために急遽つくられ福田首相が官邸で授与。翌年の7月25日に亡くなった作曲家の古賀政男に8月05日第2号が贈られた。                                       

1905年(明治38年)7月31日にロシア軍が樺太で日本に投降し、日露戦争が終結する。 この戦争には、多くの福岡に縁がある先人が関わり、特に杉山茂丸や金子堅太郎、明石元二郎らが特記される。9月04日は講和条約であるポーツマス条約(日露講和条約)調印の前日、関係者の命をかけた苦労が偲ばれる。

ポーツマス条約(日露講和条約)は、1905年9月05日15時47分に、アメリカ合衆国のセオドア・ルーズベルト大統領の斡旋によって、ニューハンプシャー州ポーツマスの海軍工廠において、日本全権小村寿太郎とロシア全権セルゲイ・ウィッテの間で調印が成され締結された、日露戦争の講和条約。また、条約内容を勘案した会議のことをポーツマス会議と呼ぶ。

金子堅太郎 明治憲法起草者

1853年03月13日~1942年05月16日
嘉永6年~昭和17年

福岡市城南区生まれ / 黒田藩留学生としてハーバード大学で法律、憲法、国際法を学ぶ。ルールーズベルト大統領の同窓生で日露戦争終結に大貢献。

明石元二郎 世界をゆさぶったスパイ

1864年08月01日~1919年11月24日
元治元年~大正8年

福岡市生まれ / 日露戦争に活躍し、「明石1人で大山満州軍20万に匹敵する」と賞賛を受ける。 調印の日ぎりぎりまでヨーロッパで活躍する。

山座円次郎 外交官

1866年12月01日~1914年05月28日
慶応2年~大正3年

福岡市中央区生まれ / 小村寿太郎を外相を助け、日露戦争の開戦から終結までに取り組む。廣田弘毅が外交官になるきっかけを作る。

杉山茂丸 全身献体の快人

1864年08月15日~1935年07月19日
元治元年~昭和10年

福岡市天神町生まれ。国士・民間政治家(いわゆる浪人)だが、金融と経済こそ近代国家の基本と言う観点から、伊藤博文、山形有朋、桂太郎などを動かして、近代国家としての日本の方向付けを行なった。死体国有論の茂丸は1935年(昭和10年)のこの日に死去、夫婦で東大に献体されている。

日露戦争の全てに関わった国士である。

石村善右 仙涯収集家

1908年09月03日~1979年12月05日(明治39年~昭和54年)

福岡市生まれ / 家業・製菓業の傍ら幅広い文化活動の中で仙涯の顕彰に務め、コレクションを福岡市美に寄贈する。

岡倉天心 九州国立博物館

1863年02月14日~1913年09月02日
文久2年12月26日~大正2年09月02日

横浜市生まれ / 1889年02月展覧会で来福し九州博物館の設置を提唱。福日は「美術品保存に就いて」の社説を02月16日に掲載する。明治期に活躍した美術家、美術評論家、美術教育者。本名岡倉覚三。

福本日南 「元禄快挙録」

1857年05月07日~1921年09月02日
安政4年~大正10年

福岡市中央区生まれ / 忠臣蔵を国民的ブームにした明治の史論家、ジャーナリスト。明治41年12月14日より義士会を開催。

川上貞奴 近代女優第1号

1871年07月18日(グレゴリオ暦09月02日~1946年12月07日
明治4年~昭和21年

東京都日本橋生まれ 日本一の芸妓から川上音二郎の妻になり、明治昭和の女優として活躍。1912(大正元)年10月16日から7日間、博多の明治座で夫音二郎の追善興行を開催する。

中村ハル 食を通して人を創る

1884年06月01日~1971年09月02日
明治7年~昭和46年

福岡市早良区生まれ / 努力の上に花が咲くを座右の銘とし、64歳から中村学園創立に取り組む。

徳永ヨシ 福岡女学院

1895年01月03日~1957年09月02日
明治28年~昭和32年

熊本県八代市生まれ / 校長を25年間務め、キリスト教徒として教育者として敬慕され多大の人間的影響を及ぼした。

夢と憧れを失うことなく生きた不世出の詩画人竹久夢二は1934(昭和9)年9月01日信州・富士見高原療養所で、結核のためひっそりと亡くなりました。享年49歳。ほっそりした柳腰の美人“夢二型美人”は大正期に一世を風靡しました。「待てど暮らせどこぬ人を・・・・」あの『宵待草』は彼の作品です。と今泉正顕氏は「人物なるほど『一日一話』」で語ってます。

竹久 夢二

1884年9月16日~1934年9月01日(明治7年~昭和9年)
岡山県生まれ/画家・詩人。本名は、茂次郎(もじろう)

1900(明治33)年17歳の2月に一家は岡山から北九州市八幡区大字枝光(現北九州市八幡区 山王1丁目)に移住し、八幡製鉄所に勤務した。明治34年(1901)18歳夏、東京へ出奔した。17年後に筑豊の炭鉱王といわれた伊藤伝右衛門に嫁いだ柳原白蓮が、1919(大正8)年に刊行した歌集「几帳の陰』と「幻の華」の表紙を手がける。

1923(大正12)年今日関東大震災で杉山茂丸宅(台華社)消失。子息の杉山泰道(夢野久作)、九州日報(現西日本新聞)の特派記者として上京、報道記事、スケッチを送り続ける。

福岡市中央区出身、杉山茂丸の長男で、香椎の杉山農園で探偵、猟奇、童話、伝記、ルポなど多彩な著作を遺す。代表作はドグラ・マグラ。

来る9月19日にふくおか未来立志塾塾頭神田紅さんが「筑紫の女王 柳原白蓮」を独演会で語る。