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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)

過去記事

1905年(明治38年)7月31日にロシア軍が樺太で日本に投降し、日露戦争が終結する。この戦争には、多くの福岡に縁がある先人が関わり、特に杉山茂丸や金子堅太郎、明石元二郎らが特記される。

学生時代に山座先輩の指示で大陸探査を行った広田弘毅をはじめ11名を列記した。

奥保鞏 陸軍福岡閥の総帥

1846年11月19日~1930年7月19日
弘化3年~昭和5年

小倉出身、日露戦争で第二軍司令官を務め、参謀総長等の要職を経て元帥号を贈られた。

栗野慎一郎 特命全権公使

1851年11月07日~1937年11月15日
嘉永4年~昭和12年

福岡市中央区生まれ / 米国に留学。日米条約改正を成立を始め、近代日本の歩みに大きく貢献した外交官。

金子堅太郎 明治憲法起草者

1853年03月13日~1942年05月16日
嘉永6年~昭和17年

福岡市城南区生まれ / 黒田藩留学生としてハーバード大学で法律、憲法、国際法を学ぶ。日露戦争終結に貢献。

頭山満 玄洋社創始者

1855年04月12日~1944年10月05日
安政2年~昭和16年

福岡市早良区生まれ / 自由民権運動から政治結社玄洋社を結成し、孫文と交流を持った無位無官の在野の頭領。

末松謙澄 「源氏物語」英訳出版

1855年08月20日~1920年10月05日
安政2年~大正9年

行橋市生まれ / 日本の夜明けに活躍した伊藤博文の知恵袋.世界初の「源氏物語」英訳を出版。

明石元二郎 世界をゆさぶったスパイ

1864年08月01日~1919年11月24日
元治元年~大正8年

福岡市生まれ / 日露戦争に活躍し、「明石1人で大山満州軍20万に匹敵する」と賞賛を受ける。

杉山茂丸 全身献体の快人

1864年08月15日~1935年07月19日
元治元年~昭和10年

福岡市天神町生まれ。国士・民間政治家(いわゆる浪人)だが、金融と経済こそ近代国家の基本と言う観点から、伊藤博文、山形有朋、桂太郎などを動かして、近代国家としての日本の方向付けを行なった。死体国有論の茂丸は1935年(昭和10年)のこの日に死去、夫婦で東大に献体されている。

山座円次郎 外交官

1866年12月01日~1914年05月28日
慶応2年~大正3年

福岡市中央区生まれ / 小村寿太郎を外相を助け、日露戦争の開戦から終結までに取り組む。廣田弘毅が外交官になるきっかけを作る。

内田良平 黒竜会創設

1874年02月11日~1937年07月26日
明治7年~昭和12年

福岡市生まれ / 1901年対露主戦論を唱え黒竜会創設。日韓合邦を推進し、孫文の依頼でフリッピン独立運動、中国革命を援助する。

中村天風・三郎 クンバハカ

1876年07月30日~1968年12月01日
明治9年~昭和43年

東京都北区王子生まれ / 積極的言葉による積極的思考の生き方・心身統一法(ヨガ)を進める哲人。修猷館と玄洋社で学ぶ。

広田弘毅 「物来順応」の人

1878年02月14日~1948年12月23日
明治11年~昭和24年

福岡市中央区生まれ / 戦犯で 黙して往った福岡出身唯一の宰相。福岡市天神の水鏡天満宮には小学校時代の掲額あり。

中村天風・三郎 クンバハカ

1876年07月30日~1968年12月01日
明治9年~昭和43年

東京都北区王子生まれ / 積極的言葉による積極的思考の生き方・心身統一法(ヨガ)を進める哲人。修猷館と玄洋社で学ぶ。

大隈言道 幕末の大歌人

1798年~1868年07月29日
寛政10年~明治元年

福岡市中央区生まれ / 古今を超越し、現実的かつ個性的で、天真爛漫に歌を革新し、約二千六百首の桜の歌を遺す。

平田汲月 最初のプロにわか師

1894年03月10日~1972年07月28日
明治27年~昭和47年

福岡市博多区生まれ / 1970年東京国立劇場で上演。650篇の作品を生み出し衰退するにわかの保持に大貢献する。

平清盛 大宰府大弐

1118年~1181年03月20日
元永3年~養和2年

1158年(保元3年)九州の内政・外交の最高責任者として強固な基盤をつくり、博多港の築港にも力を入れる。『平家にあらざれば人にあらず』栄耀栄華をほしいままにした平家一門も平清盛の死後2年1183年(寿永2年)に一昨日7月25日に九州を目指し、都落ちをしました。

内田良平 黒竜会創設

1874年02月11日~1937年07月26日
明治7年~昭和12年

福岡市生まれ / 1901年対露主戦論を唱え黒竜会創設。日韓合邦を推進し、孫文の依頼でフリッピン独立運動、中国革命を援助する。

大伴旅人 太宰師(そつ)

665年~731年07月25日
天智4年~天平3年

上流貴族、大納言、歌人。大宰府に約3年間の在任中、神仙思想を有するロマンチックな歌を残し、筑紫歌壇の花を咲かす。

古賀政男 酒は涙か溜息か

1904年11月18日~1978年07月25日
明治37年~昭和53年

大川市生まれ、作曲家 / 昭和初期より50年間で「影を慕いて」ほか約4000曲の古賀メロディーを作曲。歌謡史に足跡を残す。

斉明天皇 朝倉宮

~661年07月24日
~斉明7年

660年唐・新羅に滅ばされた百済の救援のため自ら筑紫へ行幸。朝倉橘広庭宮に本営を置いたが、661年07月に崩御する。

斉明天皇こと宝皇女は、第35代皇極天皇として即位したのち、弟である軽皇子<孝徳天皇>に譲位します。そして孝徳天皇の崩御後、再び天皇の位に即いた女性です。後の天智天皇・天武天皇の母でもあります。

斉明天皇以下、朝廷の人々は、661年(斉明7年)3月、娜大津<なのおおつ=現在の福岡市南区>に至り磐瀬行宮(いわせのかりみや)に坐し、5月09日に朝倉橘広庭宮に遷ったのでした。

http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/asakura/tachibana1.html

宮崎安貞 江戸前・中期の農学者

1623年~1697年07月23日
元和9年~元禄10年

広島県生まれ / 福岡藩士を致仕し農民のために終生を捧げ、わが国近世農業技術の集大成といわれる全10巻を書く。

益田憲吉 「くるま座」

1922年~1990年07月22日

福岡市生まれ / 西日本新聞夕刊コラム「マスケンのくるま座」で庶民の立場から個性的なペンで広く読者の共感を集めた。

真木和泉 久留米藩の志士

1813年03月07日~1864年07月21日
文化10年~元治元年

久留米生まれ / 幕末志士中で最も徹底した幕府否定・王政復興論者であり実行者であった。天王山で自刃。

菊竹六皷 反骨のジャーナリスト

1880年~1937年07月21日
明治13年~昭和12年

浮羽郡吉井町生まれ / 五・一五事件の翌日5月16日付け西日本新聞に掲載された論説「首相凶弾にたおる」を執筆する。

1969年 7月20日アメリカ・アポロ計画のアポロ11号が、人類史上初めて月に到達。アームストロング、コリンズ、オルドリンの搭乗員でアームストロング、オルドリンが月面に降りた。

鬼塚承二 エリソン・ショウジ・オニツカ

1946年6月24日~1986年1月28日
昭和21年~昭和61年

アメリカハワイ州ハワイ島出身。1946年人類初の月到達の26年後、1985年1月24日、スペースシャトル・ディスカバリー号にて初飛行(任務宇宙飛行士)し、両親の出身地浮羽町に墓参。翌年1月28日2度目の宇宙にチャレンジで尊い犠牲者となった。

「1996年1月28日、その予期せぬ悲劇は起こった。米東部標準時間午前11時39分、轟音とともにケネディ宇宙センター39B発射台を離れたミッション51L「チャレンジャー」は72秒後に突然として紅蓮の炎に包まれた。この瞬間、最もアメリカ的な側面を代表する宇宙飛行士7人の尊い生命が失われた・・・・・その男の名を『エリソン・S・オニヅカ』という。エリソン・オニヅカの曽祖父は浮羽町の出身で名をイチヘイといった。エリソンは、1983年に妻や娘たちと母を連れて浮羽町にある鬼塚家代々のお墓参りへ訪れた。浮羽町では、エリソンを郷土の英雄として今でも語り継がれている。」と町では紹介し、 「宇宙で初めて箸を使い、すしを食べた男」と浮羽商工会議所は紹介している。

杉山茂丸 全身献体の快人

1864年08月15日~1935年07月19日
元治元年~昭和10年

福岡市天神町生まれ。国士・民間政治家(いわゆる浪人)だが、金融と経済こそ近代国家の基本と言う観点から、伊藤博文、山形有朋、桂太郎などを動かして、近代国家としての日本の方向付けを行なった。死体国有論の茂丸は1935年(昭和10年)のこの日に死去、夫婦で東大に献体されている。

梅崎春生 第32回直木賞

1915年02月15日~1965年07月19日
大正4年~昭和40年

福岡市中央区生まれ / 1953年(昭和29年)『ぼろ家の春秋』で直木賞を受賞。円藤周作、吉行淳之介、三浦朱門ら「第3の新人」の先駆的存在となる

大河内伝次郎 国定忠次

1898年02月05日~1962年07月18日
明治31年~昭和37年

豊前市生まれ / 時代劇のトップスタートして1925年から1961年まで約300本の作品に出演。晩年造園に執念を燃やす。

山川健次郎 九州大学初代総長

1854年09月09日~1931年06月26日

会津若松生まれ / わが国最初の理学博士学位を授与。東京帝国大学総長のあと1907年九州工大前身の明治専門学校総裁、1911年九州帝国大学総長を歴任。

後再び東京帝国大学と京都帝国大学の総長を兼任し、枢密顧問官を歴任。男爵。特に私立明治専門学校の創設に尽力し、教育に対して高い理想を持った明治後期の偉大な教育者であり、物理学者である。

松口月城 吟詠漢詩界の至宝

1887年04月01日~1981年07月16日
明治20年~昭和55年

筑紫郡那珂川町生まれ / 地域医療に貢献し、漢詩、書道、南画に秀でた芸術家で西日本吟詠大会の創設の提唱者。1981年(昭和56年)のこの日94歳で逝去する。

入江徳郎 天声人語

1913年07月15日~1989年09月05日
大正2年~平成元年

遠賀郡芦屋町生まれ / 文章家として名を上げ、中立公正な文章が好評。朝日新聞論説委員として1963年5月から1970年5月まで1面コラム「天声人語」を担当した。TBSの総合ニュース「JNNニュースコープ」では、1969年10月から1981年3月までメインキャスターを務めた。

坂本繁二郎 放牧三馬

1882年03月02日~1969年07月14日
明治15年~昭和45年

久留米市生まれ / 同年、同郷の親友青木繁に比し、大器晩成の洋画家。馬、静物に加え能面が主要なモチーフとなる。

青木繁 海の幸

1882年07月13日~1911年03月25日
明治15年~明治44年

久留米生まれ / 享年28歳、同郷の坂本繁二郎と親友で明治画壇の鬼才として名作品を遺した早世の洋画家。

太田清蔵 浮世絵収集家

1883年08月21日~1977年07月13日

福岡市生まれ / 第5代太田清蔵として東邦生命会長、博多大丸初代社長などで活躍。太田記念美術館を渋谷に建設。

三好弥六 日本一小さな市長

1880年07月12日~1957年08月12日
明治13年~昭和32年

佐賀県三養基郡生まれ / 戦後最初の公選福岡市長で平和台を完工し、第三回国民体育大会を誘致する。

中村祐興 「天風」を育んだ開化人(中村紙の発明家)

1829年07月10日~1909年10月12日
文政12年~明治42年

山門郡山川町生まれ / 1874年(明治7年)紙幣寮に出仕し、初代刷版局長、抄紙部長として明治31年までに紙幣用紙の改良に尽くす。中村天風の父親。

柳川藩士として長崎に遊学、日本最初の民間新聞『海外新聞』を購読し、維新後、政府に廃刀を請願、大蔵省で新しい紙幣の製造に尽力した。日本に最初にヨガ哲学を紹介した財団法人天風会の中村天風(三郎)は三男である。

権藤成卿 農本主義思想家

1868年02月28日~1937年07月09日
明治元年~昭和12年

山門郡山川町生まれ / 対露開戦と日韓合邦を主張、農村自治による特異な「社拭(しゃしょく)」国家論を唱えた。

森鴎外 小倉日記

1862年01月19日~1922年07月09日

島根県津和野生まれ / 「我をして九州の富人たらしめば」を始め数々の含蓄ある啓発評論を福岡日日新聞に発表する。

福田昌子 優生保護法

1912年07月08日~1975年12月30日
大正元年~昭和五十年

鹿児島市生まれ / 戦後初の女性議員として議員立法優生保護法を自ら執筆。1956年福田学園を設立、各種社会活動にも貢献。

麻生太吉 九州の石炭王

1857年07月07日~1933年12月08日
安政4年~昭和8年

飯塚市生まれ / 安川、貝島と並んで筑豊御三家と称される麻生グループの基礎を固めた。

富田渓仙 日本画家

1879年12月09日~1936年07月06日
明治12年~昭和11年

福岡市下川端生まれ / 詩や幅広い宗教に関心を持ち、洒脱で清新な画風は、近代日本画史上類例がない異彩を放つ。

諏訪楯本 最初の日刊新聞発刊

1842年~1900年07月05日
天保13~明治33年

福岡市生まれ / 実業家。1878年(明治11)に印刷会社創設、1880年04月「福岡日日新聞」発刊。団琢磨の実兄。

田原淳 ペースメーカーの父

1873年07月05日~1952年01月29日
明治6年~昭和27年

大分県東国東郡生まれ / 九大の医学部長。哺乳動物心臓の電気的刺激伝道路発見は、現在世界で年間100万人以上の命を救う。

栄西 聖福寺建立

1141年~1215年7月05日
永治元年~建保3年

岡山市吉備津生まれ / 臨済宗開祖。宋からお茶の種を持ち込み背振山に植え、1195年わが国最初の禅寺を博多に建立。鎌倉の寿福寺で74歳の生涯を閉じた7月05日は栄西忌。

比叡山で天台宗を学び、2回宋(中国)に渡り臨済宗の教義とお茶の趣旨を持ち帰る。茶は修行のときに眠りを覚ますために飲んでおり、茶の種を肥前(佐賀)の背振山に植え、その種子を京都栂尾(とがのお・現在の宇治)の高山寺にいた弟子の明恵(みょうえ)に与え明恵がお茶を広めたそうだ。

1168(仁安3)年福岡の今津の誓願寺を根拠に10数年送り、多くの著述をなす。栄西自筆の『誓願寺盂蘭盆一品経縁起』と『誓願寺創建縁起』は国宝で誓願寺に現存する。1195年博多(福岡市博多区御供所)にわが国最初の禅寺を建立。

その後、鎌倉に寿福寺、京都加茂川に建仁時を建てる。著書は『興禅護国論』『喫茶養生記』など。

今日はアメリカ独立記念日〈1776(安永5)年の今日アメリカ東部13州の代表がフィラデルフィアで独宣言に署名した〉である。

アメリカと福岡の関係は、まず渡航の解禁が解けた翌年1967(慶応3)年に福岡第11代藩主黒田長溥(ながひろ)が平賀磯三郎(義質)、井上良一(15歳)ら6人をボストンに留学させる。次に1871(明治4)年に伊藤博文らの渡米視察に留学生として栗野慎一郎、金子堅太郎、団琢磨、が同行した。金子堅太郎はルーズベルト大統領とスタンフォード大学で共に学び、その縁が日露戦争講和に大いに役立った。

栗野慎一郎 特命全権公使

1851年11月07日~1937年11月15日
嘉永4年~昭和12年

福岡市中央区生まれ / 米国に留学。日米条約改正を成立を始め、近代日本の歩みに大きく貢献した外交官。

金子堅太郎 明治憲法起草者

1853年03月13日~1942年05月16日
嘉永6年~昭和17年

福岡市城南区生まれ / 黒田藩留学生としてハーバード大学で法律、憲法、国際法を学ぶ。日露戦争終結に貢献。

団琢磨 三井合名会社理事長

1858年08月01日~1932年03月05日
安政5年~昭和17年

福岡市中央区生まれ / 明治大正期にかけてわが国の工業化、近代化に尽くした功績大。血盟団員の狙撃を受けて死去。

小野妹子 最初の遣随使

607(推古15)年、7月03日に聖徳太子の命により初の遣随使・小野妹子が旅立つ。しかし博多港を発ったのが3日なのかは定かでない。

強大な隋に対等な立場をとり、妹子が呈した国書の冒頭に『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつが)無きや』などとあって、煬帝(煬帝)を怒らせた。

翌年、妹子は答礼使裴(はい)清世を伴って帰国するが、隋の返書を百済(くだら)人に奪われたと偽り、奏進しなかったので問題になる。翌年、妹子は裴(はい)清世を送って再び派遣された。これには高向玄理(たかむこのくろまろ)、南淵請安(みなみぶちのじょうあん)、僧罠(そうみん)など8人の留学生が同行した。妹子は翌年帰国したが、留学生は隋末唐初の30年間も滞在し、その先進的な制度文物について学び、また王朝交代を見聞して帰国し、我が国の政治的文化的な発展に貢献する。特に645年の大化の改新あるいは以後の律令国家の形成に大きな影響を与えた。

836(承和3)年の7月02日に最後の遣唐使が博多港から出航。藤原常嗣、小野篁ら600余人。

小野篁 平安時代前期の公家、詩人、最後の遣唐使

802年~852年
延暦21~仁寿2年

832(天長9)年太宰少弐になったが、淳和天皇は才を惜しんで赴任を許さなかった。834(承和元)年に遣唐副使に任ぜられ836年大宰府に下り、7月02日博多津を出帆したが失敗。翌年も失敗し、2年後3回目の時に大使藤原常嗣との諍いで乗船を拒否し、『西道謡』を作って遣唐事業を風刺。ために嵯峨上皇の怒りに触れ、隠岐に配流。2年後に許される。『経国集』などに若干の詩、『古今和歌集』に6首がある。

県図書館で5月24日の毎日新聞で次の記事を読む。「『筑後川』の作曲家団伊玖磨さんが、祖父団琢磨が100年先を見据えて三井三池を開発したようにいまだ開発されてない人の心に迫る音楽を見つけたかった。」

「筑後川」は「久留米音響合唱団」の創設5周年記念の合唱曲として作られた、作詞は地元の丸山豊さんであり、作曲は団伊玖磨さんである。団伊玖磨さんの祖父は福岡藩生まれで、明治、大正、昭和初期に実業、財界で活躍、三井合名会社理事長となり、三池港を築港した団琢磨さんであった。

団琢磨  三井合名会社理事長

1858年08月01日~1932年03月05日
安生5年~昭和7年

福岡市中央区生まれ / 明治大正期にかけてわが国の工業化、近代化に尽くした功績大。血盟団員の狙撃を受けて死去。

福博の夏祭り「博多祇園山笠」は今日から15日まで。この祭りの繁栄に貢献した人は

古島一雄 山笠廃止の危機を救う

1898年(明治31年)に時の福岡県知事と警察が「丈の高い山笠が頻繁に電線を切断する」「半裸の舁(か)き手は野蛮」などの理由で山笠廃止を打ち出した。博多の人達に助力を求められた古島九州日報主筆は、新聞で約1ヶ月間、山笠廃止反対の論陣を張り、

一方博多っ子たちに[山笠を低くすれば電線は切らぬ。半裸が悪ければ法被を着ればよい]と説得し仲裁役を買って出て山笠を守った。

落石栄吉  祇園院栄空山笠居士

1898年09月28日~1978年05月08日
明治31年~昭和53年

福岡市生まれ / 戦後博多祇園山笠復興に取り組み、博多町人文化の保存に多々貢献する。マスコミが「山笠博士」と呼んだ落石さんの戒名は「祇園院栄空山笠(さんりゅう)居士」。

6月08日付けの西日本新聞朝刊聞き書きシリーズの「おいしょ!山笠」で元博多祇園山笠振興会会長石橋清助氏が詳しく紹介されておられる。

中対馬(つま)小路(しょうじ)(現古門戸(こもんど)町(まち))で料亭「やま利」を経営。著書「博多祇園山笠史談」(昭和36年)「博多復興史」で戦後の博多の復興を紹介する。「空襲で中止になった昭和20年の一番山笠が大黒流で、中対馬小路が当番町だったから」と言う使命感から大黒流の落石さんは博多祇園山笠振興会の初代会長を務める。