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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)

過去記事

C・Kドジャー

1879年01月01日~1933年05月31日
明治12年~昭和8年

米国ジョージア州生まれ / 1916年私立西南学院(中学)を設立し、アメリカ南部魂で日本の西南の人材を開発する。

西島伊佐雄

1922年05月31日~2001年09月30日
大正11年~平成13年

福岡市生まれ / グラフィックデザイナー。1973年、昔の町人気質を受け継ぎ、古き良き博多を守ろう博多町人文化連盟を設立。

木曽重義

1897年05月31日~1978年05月22日
明治30年~昭和53年

大相撲九州場所を誘致した木曽重義(炭鉱経営者) 1897年この日生まれる。
愛媛県生まれ、旧制東筑中学中退。 筑豊をはじめ多くの中小炭鉱の経営を手がけ、九州石炭連盟課長や日本石炭連合会会長などの公職を歴任。大相撲九州場所の誘致に力を尽くした。

中村天風(三郎)

1876年07月30日~1968年12月01日
明治9年~昭和43年

東京都北区王子生まれ / 積極的言葉による積極的思考の生き方・心身統一法(ヨガ)を進める哲人。修猷館と玄洋社で学ぶ。
1919年05月31日 頭山満の代理として哲人・中村天風が講演、ヨガ普及に旅発つ

伊馬春部

1908年5月30日~1984年3月17日
明治41年~昭和59年

放送作家、歌人

北九州市八幡区木屋瀬の醤油醸造業柏屋(カネマタ)の5代目として生まれる。本名、高崎英雄 鞍手中学校(現鞍手高等学校)から國學院大學に進む。

伊馬鵜平の筆名で「新宿ムーラン・ルージュ」創立期の座付き作家の一人として活躍。戦後は、春部と改め、放送作家として、ラジオ・テレビ、映画・舞台の脚本などを手がけ、7年間人気を呼んだ「向こう三軒両隣り」の作家の一人として活躍。

また昭和51年(1976年)の宮中歌会始めの召人でもあり、母校鞍手高等学校や地元木屋瀬中学校など、数々の校歌・市歌の作詞するなど幅広い分野で活躍する。

生家で市の指定有形文化財(建造物)の指定を受けている旧高崎家住宅には春部に関する資料も展示公開されている。

旧高崎家住宅 www.kitakyushu-city.com/yahataku/takasaki.html

杉田久女

1890年05月30日~1946年01月21日

鹿児島市生まれ / 小倉で「ホトトギス派」の閨秀俳人として、大正中期から昭和初期にかけて俳壇に久女旋風を起こした。

緒方竹虎

1888年01月30日~1956年01月28日
明治21年~昭和31年

山形市生まれ / 敗戦直後の混乱を収拾し、戦後の保守合同に心血を注いだ玄洋社の流れをくんだ政治家。

1955.5月30日 自由民主党総裁代行・緒方竹虎が母校修猷館の創立70周年記念で講演、「新憲法は、途中から占領軍から無理矢理に押し付けられたもの、当初新憲法を起草していた松本蒸治博士や美濃部達吉博士等は最後まで敢然と反対し、また清水澄(通る)博士は死を持って抗議した。・・・若い諸君が、日本独立気概をの中心を持って任じ、日本再建の推進に当たってほしい」と訴えた。翌年1月に逝去し、憲法改正が遺言となった。

ふくおか先人金印記念館 » 緒方竹虎 重厚精廉の政治家

東条カツ

1890年~1982年5月29日
明治23年~昭和57年
福岡県田川郡生まれ、元首相東条英機大将の未亡人として1982年(昭和57年)この日 91歳の波乱万丈の人生を東京・世田谷の自宅で終える。

山座円次郎

1866年12月01日~1914年5月28日
慶応2年~大正3年

やまざえんじろう / 外交官。福岡市地行東町に生まれ、明治25年(1892年)東京帝大法科を卒業。明治34年外務省政務局長となり、病弱な小村寿太郎外相を補佐し、日露戦争の開戦から終結までの外交交渉に取り組む。日露戦争後の軍部の外交介入に強い批判を持ち、駐英大使館参事官、北京特命全権大使として活躍する。

学生時代の広田弘毅に目をかけ、後年広田が外交官の道を歩むきっかけとなる。

長谷川町子

1920年1月30日~1992年5月27日
大正9年~平成4年

14年前の1992年今日逝去。佐賀県多久市で生まれる。福岡市の百道で漫画「サザエさん」が誕生志、昭和21年4月22日夕刊フクニチでスタートする。昭和24年12月より朝日新聞に移り、「国民まんが」に育ち、昭和49年2月21日連載6477回で終了する。

女性で美空ひばりについで2人目の国民栄誉賞をを授与される。

杉山龍丸

1919年5月26日~1988年9月20日
大正8年~昭和63年

大正8年の今日、作家・夢野久作(杉山泰道)の長男として生まれる。福岡市香椎の農園を売って、飢饉に飢えるインドの砂漠を緑化し、今でもグリーンファーザーと尊称されている。

ノーベル平和賞を受賞された佐藤栄作から「爺さんの杉山茂丸さんから大変お世話になったが、インドを緑化する寄金をもらいに首相の時に来てくれれば良いのに、首相を辞めたら依頼に来た。そう言う男ですよ(権力に頼らない、おもねない?)。福岡に帰ったら大事にして下さいね。」が杉山ファミリーを知るきっかけだった。

龍丸さんにお会いし30年になる。「ソ連はブルドーザー1000台をインドに提供し、アメリカも国家レベルでインドの飢饉に援助をしたが、成果なく、みな失敗した。私は個人レベルで台湾の蓬莱米を一握りガンジー塾に持ち込み、今やインドは米の輸出国になりました。」と誇らしく語られたのを昨日のように思い出される。

毎年2月の「新遊民の集い」の小学校への国宝金印贈呈式で、子供達に龍丸さんの志を伝えている。

龍丸さんとファミリーのことを知りたかったら、谷底ライオンhttp://homepage2.nifty.com/tanizoko/をご覧ください。詳しく分かります。

赤間文三

1899年05月21日~1973年05月02日
明治32年~昭和48年

5月に生まれ、5月に旅たった政治家赤間文三は、大阪府知事を1947年(昭和24年)から3期、参議院議員を3期務め、1967年第2次佐藤内閣の法務大臣を歴任する。宗像郡津屋崎町出身で中学修猷館、旧制山口高を経て1925年(大正14年)東大法学部独法科を卒業。内務省を皮切りに活躍するが、関西財界とのつながりが出来、昭和24年4月に第一回大阪府知事選に出馬し当選する。

どういうわけかこの時の相手は田川出身で修猷館同級生の香月保(元田川市長)であった。

談論風発、自分でこしらえた「処世人訓」を人に講釈するのを楽しみとし、押しも強かった。

来期(9月以降)の立志塾で掘り起こす先人候補を挙げ始めている。

一作年の西日本新聞夕刊コラムで知った竜巻の世界的権威「ドクタートルネード」と称せられる小倉区中曽根生まれの藤田博士を語れる人を探し始める。

藤田哲也

1920年~1998年11月19日 北九州市小倉南区
<竜巻博士>1953年シカゴ大学に招かれ、「ドクタートルネード」と称せられる竜巻の世界的権威になり、航空安全にも寄与した。

トルネードと言えば野茂投手を思い浮かべることが出来るが、藤田博士は世界的権威でも日本では知られていない。しかし現在少年に自然科学の夢を呼び起こそうと、北九州市に「記念館」を設立準備中で是非博士の志を学びたいものだ。

照サイト たつまき博士研究室ホームページ
http://www.fujita-scale.com/

ふくおか未来立志塾で「ロシアを倒した情報将軍明石元二郎の志 そのⅡ」を開催。  

「アジアの一国である日本の勝利は、アジアのすべての国々に大きな影響を与えた。わたしは少年時代、どんなにそれを感激したかを、おまえによく話したことがあったものだ。たくさんのアジアの少年少女、そしておとなが、同じ感激を経験した。」

インドの初代首相ジャワーハル・ネルーは、娘インディラ・ガンディー(後の首相)に手紙を送った。

世界地図を変えるきっかけを作った日露戦争で、大山巌満州軍20万人に匹敵する活躍をしたといわれた明石元二郎。その活躍と志を探った。

富永シヅ

1909年1月18日~2006年5月23日
明治42年~平成18年

長崎県五島出身、1958年(昭和33年)日本で初めて国産の冷凍車を走らせ、日本のコールドテエーンの扉を開いた福岡運輸㈱の創業者。

5月23日97歳で逝去。積善社福岡斎場でお別れ会に1千名余が参加者する。会場入り口に国産「矢野式冷凍車」第一号の複製車が展示された。

今年50周年を迎える福岡運輸が、日産ディーゼルと日本の現存する一番古い車(福岡市博物館に展示)をつくった矢野特殊自動車の協力で製作、お別れ会に間に合わせる。

木曽重義

大相撲九州場所を誘致した木曽重義(炭鉱経営者) 1978年この日逝去
1897年5月31日~1978年5月22日 愛媛県生まれ、旧制東筑中学中退。 筑豊をはじめ多くの中小炭鉱の経営を手がけ、九州石炭連盟課長や日本石炭連合会会長などの公職を歴任。大相撲九州場所の誘致に力を尽くした。

美術評論家(1914年12月14日~1995年10月30日)。
福岡県白主丸町出身。文化功労者。
京都近代美術館館長、美術評論家連盟会長、京都造形芸術大学学長、横浜市美術振興財団理事長、美術館連絡協議会理事長などを歴任。著書には『画人游歴』『昨日今日の作家たち』(芸艸堂)、『河北倫明美術論集』(講談社)、『河北倫明美術時評集』(思文閣)などがある。

石橋正二郎さんを思い起こしたとき、河北倫明氏が頭に浮かんだ。生前仕事の関係で会食してことがあるが、美術界の大御所であったといえよう。

東京営団地下鉄の路線図ポスターで一躍有名になり、下町のナポレオンいいちこの宣伝責任者アートディレクター河北秀也氏はの伯父さんと聞いている。

美術品の世界的コレクター石橋正二郎と九州の学芸員の祖増田洋(ひろみ)、放牧三馬で有名な久留米出身の坂本繁二郎

5月18日付け日本経済新聞夕刊の夕刊文化・アプローチ九州「石橋美術館會舘50周年 学芸員の祖の思い 今も」で田鍋隆男(元福岡市学芸員)が、紹介している。

インドを緑化しグリーファーザーと尊称されている杉山龍丸さんの子息杉山満丸氏より戴いた其日庵杉山茂丸が書いた「俗戦国策」を読み始めた。

明治大正、重大国事、秘史外伝!豪快奇談と紹介し、政財界の舞台裏。縦横の策を講じ、伊藤博文、山県有朋らの元老を、無私の誠で操った、影武者「ホラ丸」回顧録とPR。青年のために書き記した物である。

書肆心水社発行(03-6677-0101)定価5,250。 是非お読み願い。

頭山満翁は50年来の盟友杉山茂丸を次のように紹介している。

杉山茂丸其日庵ト称ス 余ト同郷ノ盟友ニシテ国士也
縦横ノ機略ヲ以テ朝野ノ諸勢力ト相結ビ新興日本ノ
諸政ニ参画シ不偏不党国運ノ進展ヲ扶翼シ隠忠ノ誠志ヲ
一貫ス 又平生死体国有論ヲ唱ヘ遺言シテ自己ノ遺骸ヲ
東京帝国大学ニ寄附セシム 元治元年生レ 昭和十年死ス
享年七十二歳

天神地下街を歩き、故瓦林潔九州電力社長を思い出した。昭和50年初頭に私が主宰する「21世紀情報倶楽部」で翁を囲み、一夜を楽しんだことがあるが、いわゆる大物経済人で、一介の西日本新聞社の広告部員を一人前に扱って戴いた。

九州国立博物館の誘致のために昭和43年ごろから活躍しておられたが、大物ぶりの逸話をワインの普及などで有名な電通のマーケティングプロデューサー井上優さんからお聞きした。

30年前の1976年に電通企画で天神地下街がオープンしましたが、今でも世界に誇れるファッション性が高い地下街は、当時では大変斬新なものでした。瓦林さんは責任者である井上優さんの提案をOKしたのですが、オーソドックスを宗とする九州電力のトップが例がない斬新なものをすんなり認めないものですが、まさしく官僚でなく野人的気質が大物と言われる有縁だろうと推察いたします。

何故なら、その後井上優さんは名古屋に世界に誇れる地下街つくりを頼まれたそうですが、屋根のない地下街案は前例がないと言うことで断られたそうです。

30周年を迎える地下街でそんなことを思い出していました。
どなたか先人瓦林潔をご紹介下さい。

五・一五事件で軍の横暴を痛烈に批判した菊竹六皷は、ペンの自由を守った信念の言論人として『ニ〇世紀の世界の報道人100人』に選ばれています。

菊竹六鼓は明治13年(1880)、福岡県浮羽郡吉井町(現うきは市)に生まれた。二歳で左足を負傷し骨髄炎を患い、生涯足をひきずって歩くことにな る。足の悪いことを理由に兵役が免除されたのは屈辱だと、筆一本で身を立て国家への奉公を誓うようになる。

自由党総裁、国務大臣、内閣情報局総裁、内閣官房長官、副総理などを歴任した緒方竹虎(おがたたけとら)。重厚清廉の政治家として知られ、彼の急死がなければ戦後政治史も大きく変わったといわれる。

緒方竹虎は幕末に洪庵と共に適塾を開いた緒方研堂の孫として1888(明治21)年01月30日、山形県に生まれる。修猷館中学(現高校)から東京高等商業学校(現一橋大学)に入学するが、早稲田大学に転学。1911(同44)年卒業後、大阪朝日新聞社に入社。1925(大正14)年に東京朝日新聞社編集局長、のち主筆副社長に進む。

天神サロンでコカ・コーラウエストジャパン(株)の代表取締役社長兼CEO末吉紀雄さんの卓話を拝聴する。

「創業者は佐賀県三養基郡出身で(株)リコーの創業者である市村清さん」と語られたが、昭和42年4月27日付けの西日本新聞朝刊の西日本新聞創刊90周年特集で、「コカ・コーラの発展の秘密は、易きにつかず最も困難な道を絶えず勇敢に実行した結果だと思います。」と語っている。

思い出したのは、西日本新聞社出身の篠原雷次郎社長です。若かりし頃から福岡で大型サーカスハーゲンベックを開催したりして元気な楽しい福岡つくりに貢献した人で確か博多町人文化賞をもらわれてと思います。

是非ゆかりの先人に取り上げたいものです。

金子堅太郎

1853年03月13日~1942年05月16日福岡市城南区官僚・政治家
黒田藩留学生としてハーバード大学で法律、憲法、国際法を学ぶ。明治憲法起草者として活躍し、日露戦争終結に貢献する。

菊竹六皷

1932年5月16日の福岡日日新聞に信念の言論人菊竹六皷(副社長)が前日に起こった5・15事件で軍部の非を訴えた論説を書く。全国の新聞がほとんど沈黙を守った中で「首相凶手にタオル」「あえて国民の覚悟を促す」などの論説を書いて軍人の暴挙を批判した。東京千鳥ヶ淵公園の新聞人顕彰には反骨のジャーナリストとしてその名が刻まれ、郷里吉井町には記念館がある。

宮入慶之助

1865年05月15日~1946年04月06日長野県寄生虫学・衛生学者
筑後川沿岸の巻貝(宮入貝)が日本住血虫の中間宿主である事を発見しその発育史を解明する。ノーベル賞候補となった。

今月フジテレビ(TNC)で渡辺プロダクション創設者渡辺晋の生涯がドラマ化される。両親は福岡出身の晋さんは、福岡が好きで新三浦の水炊きをこよなく愛した。美佐さんと2人3脚で活躍したが、現代の川上音二郎と言えよう。

花村仁八郎

1989年5月14日午前、海からのアジア太平洋博に参加をうたって、博多港に豪華客船ふじ丸が入行。経団連相談役で横浜博の会長花村仁八郎夫妻を代表とする燦くる~ず(横浜~博多~上海~博多)の一行457名が降り立った。

燦くる~ずは西日本新聞社と金印倶楽部(会長花村仁八郎)が企画し、余暇時代のシンボルとしてクルーズ時代を先駆け、現在も実施されている。

嘉穂出身の花村翁は、多忙のなか1994年の飛鳥で行く香港くる~ず迄、計6回46日間。日本人とは何かを訪ねる、自分探しの燦くる~ずに参加され、クルーズ事業を育ててくれました。

中村研一

1895年05月14日~1967年08月28日北九州市小倉区洋画家
官展を代表する作家の1人として高い評価を受け、戦前後を通じ一貫して人物画を描く。

安場保和

1835年05月14日~1899年05月23日熊本県。1886年2月福岡県令となり、在任6年6ヶ月、九州鉄道の敷設に功績を残す。

心を鍛える言葉~中村天風

F 社で作家岬龍一郎氏が「心を鍛える言葉~中村天風」を講演。司会を務める。中村天風は、最後の柳川藩主を祖父に持ち、中学修猷館で明治24年の陸軍への投石事件に関わり、翌年「刃傷事件」を起し退学、玄洋社頭山満に鍛えられると言う福岡にゆかりが深い先人である。

波乱万丈の半生から後に人生の達人としてヨガを日本に最初に伝道している。志の電流を強め、人生の質を高めるには、天風哲学「心身統一法」と秘術クンバハカを学び実行することである。6月22日の新遊民の集いでご紹介する。

湯地丈雄は一八四七(弘化四)年、熊本藩士の家に生まれ、西南戦争に出陣後、上京して警視庁に入った。四十歳の時、福岡警察署長として福岡に赴任する。湯地は「大国難である元寇の舞台となった博多に、記念碑がないのはおかしい」と常々感じていた。

そんな時、長崎で北洋艦隊事件が起こる。その視察・調査のため長崎に赴いた湯地は、国力のなさから日本側が泣き寝入りしたことに唇をかみしめた。頭に浮かんだのは国土を踏みにじられた蒙古襲来の惨禍。