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運営:福岡スピリッツプロジェクト(iSEN、ふくおか新遊民倶楽部)

過去記事

新劇の祖と呼ばれる川上音二郎は、文久年・元治元年(1864年)1月01日に博多対馬小路藍問屋の長男として生まれる。

14歳の時父が後妻を迎えたので大阪に出奔。のち上京し放浪の生活を続け、自由童子と名乗り、過激な言論で政府や警察を攻撃して、たびたび処罰され、入獄を繰り返す。その後大阪の落語家桂文之助の門に入り、浮世亭〇〇と名乗って、オッぺケぺ―節を売り物に人気を得た。

広田弘毅さんは同じ大名小学校で、私が昭和十年に修猷館に入り、同十一年二月に総理大臣になられました。近衛さんが手をついて頼むと言われて、「自分は外交官で政治は向いとらんけれども、どうしても誰かがやらなければならんのなら、人に迷惑をかけないでやります。問題があれば責任は必ずとります」と首相になったのです。「物来順応」の言葉通り、広田さんは自然体。実に東洋的な考え方をお持ちだと思います。一番すごいと思ったのは極東裁判での広田さんの態度です。中国に介入しない、戦争を拡大しないという考え方であったのに、周りの無罪主張にも、「戦争責任があるから」と最後までほとんど弁明をしなかったといいます。最終的には一票の差で絞首刑になった。論語は東洋的な講師だといつも机の上にあり、実践していた広田さんは生まれた時から国を背負って立つ、そういう資質を持った方でした。